こんにちは。
全6回にわたってお届けしてきた、自分を統合し、源(ソース)につながる旅「ラーニングサークル」が、ついに最終回を迎えました。
過去の学びもブログにまとめています。気になる方は、ぜひ下記URLよりチェックして下さい。
第1回「イケてる私」と「ダメな私」 https://kokokara.art/chiaki-blog/45917/
第2回「嫌いな人」 https://kokokara.art/chiaki-blog/45924/
第3回「反応」 https://kokokara.art/chiaki-blog/45927/
第4回「源につながる」 https://kokokara.art/chiaki-blog/45931/
第5回「怖れ」 https://kokokara.art/chiaki-blog/45988/
最初は、
「どうして私は、いつもこうなんだろう」
「なぜ自分は、こんなにダメなんだろう」
と、自分を責めていた参加者の皆さんも、回を重ねるごとに、少しずつ表情が変わっていきました。
そこにあったのは、ダメな自分ではなく、ずっと必死に自分を守ろうとしてきた、健気な自分。
最終回は、どこか晴れやかで、しみじみと温かい空気に包まれた時間となりました。
今日は、このプログラムの核心でもある「メンタルモデル」の正体と、私たちが知らず知らずのうちに作り出している「現実」の仕組みについて、少しシェアしたいと思います。
私たちが日々の中で直面する、
「なぜか同じようなことで傷つく」
「いつも似たような人間関係を繰り返す」
「本当は望んでいないのに、またこの現実になってしまう」
という、不本意な現実。
実はそこには、ある構造があります。
まず最初にあるのは、痛みです。
幼い頃などに、「本当はあるはずだと思っていたものが、なかった」と感じたショックや悲しみ。
愛されるはずだった。
見てもらえるはずだった。
安心していていいはずだった。
ここにいていいはずだった。
けれど、その願いが満たされなかったとき、私たちの中には痛みが残ります。
そして、その痛みが誰にも受け止められず、共感されないまま残ったとき、私たちはその痛みをなんとか理解しようとします。
そのときに生まれるのが、メンタルモデルです。
「私が無能だから、愛されないんだ」
「私には価値がないから、大切にされないんだ」
「私はいない方がいい存在なんだ」
そんなふうに、自分に対して下した「判決」のようなもの。
もちろん、それは真実ではありません。
でも、幼い自分にとっては、その痛みをなんとか受け止め、生き延びるために必要だった理由づけだったのだと思います。
そして、その判決を二度と感じないように、私たちは一生懸命に行動し始めます。
認められるために頑張る。
役に立とうとする。
迷惑をかけないようにする。
強くあろうとする。
何かを克服しようとする。
これが、痛みを避けるための回避行動です。
けれど不思議なことに、その回避行動こそが、また同じ痛みを感じる現実を作り出してしまうことがあります。
講義の中で行われたデモンストレーションでも、とても印象的な場面がありました。
「自分はいなくていい存在だ」という痛みを抱えている人が、その痛みを消そうとして、周囲に「いてもいい」というお墨付きを求める。
でも、そのお墨付きを求め続けるほど、皮肉にも、また「いなくていい」と感じるような現実を引き寄せてしまう。
まさに、内側が外側を作る、という仕組みが目の前で見えたような時間でした。
私たちが「これが世界の真実だ」と信じているメンタルモデル。
けれど本当は、それは幼い頃の私たちが、生き延びるために作り出した「壮大な勘違い」なのかもしれません。
「いない方がいい」なんて、そんなわけがない。
本当は、私たちは生まれたときから、命そのものへの信頼や安心感を持っていたはずです。
けれど、何かの拍子にそれを感じられなくなり、まるで最初からなかったかのようにして、生きてきただけなのだと思います。
このメカニズムを知ることは、自分を責めるためではありません。
むしろ、
「今の私は、生き延びるための自分として反応しているのか」
「それとも、本当の自分、源の自分から選んでいるのか」
を見分けるための知恵になります。
そして、痛みを避けて生きることは、実は喜びの幅も狭めてしまうのだと教わりました。
痛みを感じないように心を閉じると、同時に、喜びや美しさを受け取る感度も閉じてしまう。
反対に、痛みを丁寧に感じることを自分に許していくほど、人生の喜びや温かさも、より深く受け取れるようになっていくのだと思います。
この6回で学んだことは、新しいスキルを身につけることではありませんでした。
それは、私たちがもともと持っていた感覚や力を、もう一度取り戻していく旅。
まさに、取り戻す旅(タオ)でした。
痛みが完全になくなるわけではありません。
でも、その痛みさえも、自分が何に情熱を持って生まれてきたのかを思い出すための、大切なパーツなのかもしれません。
痛みを置き去りにするのではなく、一緒に乗せて、人生をドライブしていく。
そんな生き方が、ここから始まっていくのだと感じています。
「どうせ私は〇〇だから」
その長い間信じてきた物語を終わらせて、
「私は、自分の命にどんな信頼を置くのか」
その選択の力を、自分自身に取り戻していく。
そのとき、世界はきっと、今よりも少し優しく、自由な場所に変わっていくのだと思います。
全6回、一緒にこの旅を見守ってくださってありがとうございました。
ここからが、本当の意味での「自分自身の人生」のスタートです。

