18年前、新聞に載っていた一枚の写真に目が止まりました。
写っていたのは、ロン・ミュエクという作家の作品です。
その名前を聞いたこともなければ、現代美術に詳しかったわけでも、
美術館によく行っていたわけでもありません。
それなのに、なぜか「これは実物を見たい!」と思いました。
ただ写真に惹かれただけです。自分でも理由はよく分かりません。
それでも、東京から金沢まで行きました。
2008年に金沢21世紀美術館で開かれた、日本で初めての大規模なロン・ミュエク展です。
名前も知らなかった作家を見るために金沢へ行くのですから、
我ながらずいぶん素直です。ひとりで美術館にいくのも初めてでした。
その美術館で、ずいぶんゆっくりと作品を見ました。
すごく満足したのを覚えています。
18年ぶりに見ても、理由はまだ分からない
2026年、森美術館でロン・ミュエクの大規模な個展が開かれました。日本では18年ぶりです。
何度も、またロン・ミュエクの作品を見たいと思っていました。
しかし、その機会はなかなかありませんでした。
だから今回の個展を知ったときは、かなり興奮しました。
しかも今度は東京です。近い(笑)
会場には金沢で見た作品もあり、初めて見る作品もありました。
久しぶりに見てもやはり好きでしたが、
何がそれほどいいのかと聞かれると、うまく説明できません。

今回面白かったのは、18年前とは目の行く場所が変わっていたことです。
学生だった私は、作品の大きさや、人間そっくりにつくられた姿そのものに驚いていたのだと思います。
その後、鍼灸師として人の体を見る仕事をするようになったせいか、
今回は足の小指の向きや扁平足、太ももの裏側の筋肉の膨らみなど、細部に目がいってしまいました。
内反小趾っぽいな。ハムストリングスがすごいな。
皮膚のしわや体重のかかり方も気になるな。
美術館まで来て、私は何を見ているのでしょう。
18年ぶりの感動的な再会なのに、視線はずいぶん地味なところへ向かっています(笑)

全身を眺めたあと、結局また足元へ戻ってしまいました。


作品は同じなのに、見ている私のほうが変わっている。
昔好きだったものと再会すると、作品だけではなく、
そこから今までの自分まで映し出されることがあるのは面白い体験です。
人間そっくりなのに、なぜ不気味ではないのか
人間によく似た人形やロボットが、あるところまで本物に近づくとかえって不気味に見える。
いわゆる「不気味の谷」です。
ロン・ミュエクの作品も、怖い、あるいは気持ち悪いと感じる人はいるのでしょう。
私はむしろ逆で、近づいてもっと見たくなります。
しわ、毛穴、血管、毛の一本一本、筋肉の張り、脂肪のたるみ。
生身の人をこれほど遠慮なく眺めることはできません。
でも、作品なら存分に見ることができます。
ただし、ミュエクの作品は精巧なだけではありません。
巨大だったり、小さかったりして、実際の人間とは明らかに大きさが違います。
本物そっくりなのに、本物のふりはしていない。
この「よく似ているのに、絶対に人間ではない」という距離があるから、
私には怖さより好奇心が勝つのかもしれません。
人間に似せた偽物というより、
人間そのものをあらためて眺めるための作品。
そんなふうに見えてきます。

見ているのは皮膚なのに、気になるのはその人の内側
もう一つ惹かれるのは、作品全体にある静かな暗さです。
少し湿ったような、じっとりした物悲しさとでも言えばよいのでしょうか。
なんだか陰鬱なんですよね。
何を考えているのか。ここに来るまで、どんな時間を過ごしてきたのか。
表情は動かないのに、見ているこちらが勝手に事情を想像し始めます。
ミュエクは、作品の表面をつくることに多くの時間を費やしながらも、
自分が捉えたいのは「内側に宿る生命」なのだと語っています。
この言葉を読んで、少しだけ腑に落ちました。
私は皮膚や毛穴を見ています。今回は足の小指まで熱心に見ていました。
でも細部を眺めているうちに、その人が生きてきた時間や言葉にならない感情まで想像しています。
表面を見ているのに、気になってくるのはその内側なのです。
18年前、新聞の写真を見たときには、もちろんそこまで考えていませんでした。
ただ、よく分からないけれど見たいと思い、金沢まで行きました。
そして今回、あらためて考えてみても、なぜこれほど惹かれるのかを完全には説明できませんでした。
それでも、分からないものを分からないまま見に行くのは、なかなかいいものです。
あのときの直感は間違っていませんでした。
それが確認できただけでも、18年ぶりに会いに行った甲斐がありました!
次に見るときこそ、もう少し作品全体を見たいと思います。
たぶん、また細部に目がいってしまうでしょうけれど(笑)

