「ファシアに記憶がある」
そう聞いても、ほとんどの方は「どういうこと?」と思うはずです。
一般に広く知られている考え方ではありません。
そもそもファシアとは、筋肉だけでなく、神経や血管、内臓などを包み、
それぞれの組織をつないでいる結合組織です。
身体の中に広がる、薄い膜や網のようなものをイメージすると分かりやすいと思います。
鶏肉をかってくると、身近に見ることもできますよ。

写真で指で持ち上げている、白く薄い膜もファシアです。
このファシアに「記憶」のような働きがあるのではないかと、
身体を扱う専門分野では議論されてきました。
「ファシアに記憶がある」という論文がありました
ただ、徒手療法や身体を扱う分野では、
以前からこの可能性を論じた文献がありました。
その一つが、2014年に発表された
「Does fascia hold memories?(ファシアは記憶を保持するのか?)」という論文です。
この論文では、施術中に過去の出来事を思い出したり、
感情が動いたりする臨床経験を背景に、
ファシアが何らかの記憶を保持する可能性が検討されました。
ただし、実験によって証明した研究ではありません。
「もしファシアに記憶があるとしたら、どのような仕組みなのか」
を論じた仮説的な内容です。
新しい論文が示した、もう一つの「記憶」
2026年、新しい「ファシアの記憶」を提案する論文が発表されました。
発表した木村先生らは、僕もお世話になっている先生方です。
木村先生は、群馬県前橋市の木村ペインクリニックで痛みの診療に携わりながら、
エコーを使ったファシアの観察や治療を長年研究してきた医師です。
僕も木村先生のもとで、ファシアをエコーで観察することや、
痛みを身体全体から考える視点を学びました。
その木村先生たちが発表したのが、
「ファシアメモリーリセット仮説」です。
同じ「記憶」という言葉が使われていますが、
2014年の論文で話題になった感情や過去の出来事の「記憶」とは、別の話です。
木村先生らが論じているのは、
長く続いた機械的な負荷の影響が、ファシアの状態として残る可能性です。
たとえば、いつも同じ姿勢をとる。
ケガをかばった動きが続く。
一部の組織に、引っ張る力や圧迫がかかり続ける。
こうした機械的な環境に細胞が適応し、
負荷が減ったあとも、その状態が残ることがあります。
少し似ているのは、いつも同じ場所で折っていた紙です。
手を離しても、折り目はすぐには消えません。
身体は紙ほど単純ではありませんが、
過去の負荷が組織の硬さや動きやすさに影響を残す、というイメージです。
ファシアをつくる細胞には周囲の硬さや張力に反応し、
その環境へ適応する働きがあります。
負荷が長く続くと、組織のつくられ方や硬さが変わり、
負荷が減ったあとにも、その状態が続く可能性があります。
論文ではこの「過去の負荷の影響が残った状態」を、
ファシアの記憶として捉えています。

エコーに見える「重積」は記憶の跡なのか
木村先生らは、エコー画像で層状の白い帯として見える所見を
「stacking fascia(スタッキングファシア)」、
日本語ではファシアの重積と呼んでいます。
この重積が、長く続いた機械的負荷によって生じた組織変化を
映しているのではないかと考えました。

木村先生たちが行っているのが、
ファシアハイドロリリースです。
これは、エコーで重積したファシアを確認し、
その場所へ注射で液体を入れる施術です。
液体によって組織の間を分け、
滑りやすさや周囲の環境を変えることを目的としています。
このファシアハイドロリリースによって、
局所の力学環境が変わる可能性を示しています。
その結果、負荷に適応していた細胞の働きも変わり、
組織が別の状態へ戻っていく。
これが「リセット」という言葉の意味です。
薬液で一時的に痛みを抑える、という説明だけではなく、
組織を取り巻く環境そのものが変わる可能性に目を向けた仮説です。
当院でも、考え方の近い施術を行っています。
ただし、当院で使うのは注射ではなく、
鍼灸で用いる鍼です。
エコーでファシアの重積と、
その周囲にある神経や血管を確認しながら、
鍼で対象のファシアへ働きかけます。
「鍼によるファシアリリース」です。
ファシアハイドロリリースと、
鍼によるファシアリリースは、
重積したファシアをエコーで確認して対象にする点では共通しています。
一方は液体を注入し、もう一方は鍼による刺激を使うため、同じ施術ではありません。
作用の仕組みや適応まで同一と決めつけず、それぞれを分けて考える必要があります。
しかし現在、重積して見える場所で細胞の働きが
どのように変化しているのか、
施術後にその状態が戻るのかは、
人のファシアで直接確認されていません。
重積のエコー所見と実際の組織変化との対応も、
これから検証が必要です。
筋道の通った仮説ではありますが、
すべてが証明されたわけではありません。
この仮説のおもしろさは、
「身体が覚えている」という臨床での感覚を、
検証できる言葉に置き換えたことです。
ここで扱われているのは、
感情や出来事そのものの記憶ではなく、
機械的な負荷の影響が組織に残る可能性です。
感情やトラウマは、
脳、自律神経、免疫、睡眠、行動、筋緊張
などを通じて身体へ影響します。
その結果として、姿勢や動き、局所への負荷が変わり、
組織の状態へ影響することは考えられます。
ただし、ファシアだけに原因を求めると、
身体の複雑さを見失ってしまいます。
ファシアの記憶とは、心の中の出来事ではなく、
身体が適応してきた負荷の履歴を表す言葉として捉えるのが、
今のところ最もしっくりきます。
長く続く痛みや動かしにくさには、
神経、生活環境、睡眠、心理的な負担など、
いくつもの要因が関わります。
一つの説明だけで決めつけず、
身体全体を見ながら考えることが大切です。
痛みや動かしにくさが続き、
どこへ相談すればよいか迷っている場合は、
はり治療院ここから本庄院へご相談ください。
参考文献
Tozzi P. Does fascia hold memories? J Bodyw Mov Ther. 2014;18(2):259-265. https://doi.org/10.1016/j.jbmt.2013.11.010
Kimura H, Kobayashi T, Obata H. A Conceptual Fascial Memory Reset Hypothesis: Mechanobiological Insights into Stacking Fascia as an Ultrasound-Visible Structural Phenotype and the Potential Role of Fascial Hydrorelease. Int J Mol Sci. 2026;27(9):3720. https://doi.org/10.3390/ijms27093720

