今年で鍼灸の免許をとり、17年目となりました。
普段からあまり他の鍼灸師との交流は少ないのですが、
やはり技術職なので、「一流」を目指している先生が多い印象ですし、
一流を目指して技術や人間力を磨け!と聞くこともあります。
しかし僕はどうも飽き性で、
これを極めたい!と思って取り組んでいても
興味がすぐに移ってしまったり、長続きしないのです(^_^;)
一流に憧れつつも、心の奥底では一流の道を早々に諦めていました。
そしてそのことに対して劣等感も持っていました。
技術職は一流の職人でないと失格だろう、と。
ひとつのものを極めないと駄目だろう、と。
そんな折、「三流のすすめ」という本を知りました。

本のタイトル通り、
三流になりましょう!
という内容なんですが、
「三流でいい」
ではなく、
「三流がいい」
なのです。
三流と聞くと劣っているように聞こえてしまいますが、
古代中国では、三流に国を任せろと言われており、
現代と三流の意味合いが違っていたようです。
一流というのは「ひとつの専門をもつ者」、
二流は「ふたつの専門をもつ者」、
そして三流は「色々なことを専門にもつ者」、
という意味があるそうです。
ひとつの専門しか持っていないと
多面的にものごとを見れないし、
自分の専門分野に反する人間に対して寛容になれないということが起こります。
なので、「三流の人間」に国を動かすポジションを与えるように選別していた。
これを聞くと三流への認識がだいぶ変わってきます。
しかし、三流がこういう意味だと知ると
これって一流を目指すより大変じゃない?!ってなりますね(笑)
ひとつを極めるのも大変なのに、
それを3つ以上極めなければならないのが三流。。。
これに対してまた救いとなる文章が本文にでてきます。
飽き性=三流??
冒頭で「僕は飽き性で」と言いましたが、
この飽きっぽいというのも三流の特徴なのだそう(笑)
飽きるという字の「飽」というのは、
お腹の中に赤ちゃんがいて、
もういっぱいという意味があるそうです。
「飽きる」というのはお腹がいっぱいになった状態で、
もう食べられれない!やり尽くした、というニュアンスがある。
飽きっぽいとはすぐにお腹がいっぱいになる人、ということだそうです。
反対に一流の人はいくら食べてもお腹がいっぱいにならない人。
そうだとすると、
飽き性のひとが「飽きた」状態というのは、
もうその物事をいっぱいにやり尽くした、という事なので、
はい、次いってOK!
「一流」や「飽きっぽい」という言葉のイメージに卑屈にならず
言葉を捉えなおすことで、ネガティブなイメージが変わったので、
自分としてはとても良い発見でした(^^)