無駄に見えるものこそ、人を救う

──アートとファシアの共通点

最近、自分の中で「アート」「デザイン」「クリエイティブ」といった言葉が、以前にも増して強く心に引っかかるようになっています。なぜ惹かれるのか、その理由を言葉にする練習中なのですが、ちょうど興味深いYouTube動画に出会いました。

脳科学者・中野信子さんが語る「アート×脳科学」のテーマ。
一見、非効率で役に立たないように見える“アート”という存在が、実は人類=ホモ・サピエンスの生存戦略として重要だったのでは?という斬新な切り口でした。

効率だけを求める世界では語られない、「無駄の中にこそ本質があるのではないか?」という問いかけ。
興味のある方は、ぜひこちらの動画を観てみてください👇

この動画を観て、すぐに思い浮かんだのが「ファシア」のこと。

ファシアは、いま医療・治療の分野で注目されている体の組織のひとつ。慢性痛や痺れの原因に深く関わっている可能性があり、私も鍼灸治療の中でとても大切にしています。

けれど少し前までは、このファシアは「無駄なもの」とされて解剖時に取り除かれていました。見えにくく、役割もわからないから“存在しないもの”のように扱われていたんです。

近年では、泌尿器科や産婦人科などの手術においても、ファシアを愛護的に扱うことで術後の痛みが軽減され、回復が早まるといった報告も出てきています。
実際に、ファシアの存在に気づき、その重要性を現場で活かそうと取り組んでいる先生方がいらっしゃることは、非常に希望のある変化です。

「無駄」と思われていたものが、後になってとても大切だったと気づかれる。それって、まさにこの動画のアートの話と重なります。

最近は「コスパ」「タイパ」といった効率至上主義の風潮もありますが、僕自身は“無駄”とされるものの中にこそ、人生を豊かにするヒントがあると感じています。一見無駄だったと思える、遠回りや間違えなど、のちのち振り返るとなにかの転機になっていたということがありませんか?
少しのゆとり、遠回り、感覚的なもの。そうした余白を大切にする暮らしを、これからも意識していきたいなと思いました。