黒沢あやとのストーリー

AYATO's STORY

黒沢あやとのストーリー

幼少期からの違和感と鍼灸との出会い

私は幼い頃から「自分は周囲とどこか違うのではないか?」という感覚を抱えながら生きてきました。その違いが何なのかはうまく言葉にできず、ただ「普通でいなければならない」と、自分を押し込めて過ごしていたように思います。

中学に入る頃には、人の目を強く意識するようになり、自分を守るようにふるまうのが癖になっていきました。明るく、元気で、悩みなどなさそうに見える自分を演じることで、ようやく安心できる場所を得ていたのかもしれません。実際には、いつも緊張感の中に身を置いていたにもかかわらず、「悩みがなさそうでいいね」とよく言われていました。

大学では救急救命士の資格取得を目指していましたが、学びを進めるなかで「手に職をつけ、自分の力で人を支える仕事に就きたい」という想いが芽生え、卒業後は鍼灸の専門学校へ進むことを決めました。

鍼灸を学ぶうちに、人の身体と心がいかに深く結びついているかを実感するようになりました。痛みの背景には、生活習慣だけでなく、思考の癖や感情の蓄積が関係していることが多くあります。自分自身が抱えてきた違和感も、こうした心と身体のつながりの中にあったのではないかと考えるようになりました。

修行と経験

専門学校卒業後は、整骨院での修行から始まりました。目の前の患者さんの痛みと向き合いながら、手を動かし、身体の声を聴く。その積み重ねのなかで、知識と技術を少しずつ身につけていきました。

その後、ご縁があり、群馬県にあるペインクリニック監修の鍼灸院で院長として勤務することになりました。そこでは、医師と連携しながら、さまざまな症例に対応する日々を過ごしました。

当時としては珍しく、超音波エコーを使った鍼治療を導入していたこともあり、NHKの番組で取り上げられる機会もありました。それをきっかけに、全国から多くの患者さんが来院されるようになり、連日予約が埋まるほどの忙しさのなか、私自身も鍼灸師として大きく成長することができました。

手術をしても改善しない痛み、検査では「異常なし」と診断されながらも苦しみを抱えている方々と向き合うことで「鍼灸だからこそできること」があると確信するようになりました。

中でも、超音波エコーを用いた施術は、筋膜の癒着や炎症を可視化することで安全にアプローチできる技術として、私にとって大きな転機となりました。目に見える安心感と、手の感覚による繊細な施術。この両方を活かすことで、より納得のいく治療ができるようになったと感じています。

父との時間

鍼灸の道を歩き始めた頃、父が大腸がんと診断されました。医師からは余命一年と告げられ、家族としても覚悟を求められる状況でした。

当時の私は、自分の進むべき道がようやく見えかけていた時期でしたが、その知らせにはひどく動揺しました。父とは進路への考え方の違いがあり、その頃から衝突することも少なくありませんでしたが、根底には互いへの強い思いがあったのだと思います。

父の生き方には、曲げない信念がありました。私が何かを決断しようとするたびに、厳しく意見を述べていたのも「自分の選んだ道を最後まで責任をもって進め」という想いだったのかもしれません。

最期の時間にそばで見ていたからこそ「人はいつか終わりを迎える」というあたりまえの事実が、実感をともなって胸に残りました。そしてその事実が、今ある時間をどう使うのか、何のために生きるのかを真剣に考えるきっかけになったように思います。

あの時間は、今でも私の中で、大切な指標となっています。

大切な人との出会い

その後の人生の転機となったのが、現在の妻との出会いです。鍼灸の研修会で同席したのがきっかけでした。彼女の笑顔はとても印象的で、その場の空気を自然に和らげるような温かさがありました。

話を重ねるなかで、彼女自身もまた過去にさまざまな苦労や困難を経験してきたことを知りました。摂食障害や薬物依存、母親との関係、シングルマザーとしての生活など、その内容は重く、簡単には語れないようなものばかりでしたが、彼女はそれを「自分の一部」として受け入れたうえで、今を懸命に生きていました。

その姿に、私は強く心を打たれました。彼女になら、自分の内面を話してもいいかもしれない。そう思い、少しずつ心を開いていくことができました。

彼女は、私の話を特別視することなく、静かに耳を傾け、自然体で受け止めてくれました。そのやりとりを通して「ありのままの自分でいてもいい」と初めて思えるようになったのです。

今では、彼女と娘の存在が、私の生き方の中心にあります。

独立を決意するまで

ペインクリニックと連携した鍼灸院での勤務を通じて、数えきれないほどの患者さんと向き合う経験をさせていただきました。痛みの訴えも、生活の背景も、それぞれに違いがあり、同じ症状は一つとしてありませんでした。その分、毎日が学びの連続でした。

そうした日々のなかで、次第に「自分が本当に目指したい治療とは何か?」を考えるようになりました。
痛みをやわらげることはもちろん大切です。ただ、それだけで終わらせたくないという思いが、自分の中に静かに積み重なっていったのです。

痛みがなくなることで、もう一度やりたかったことに挑戦できるようになる。
不調から解放されることで、自分を大切にしようと思えるようになる。

そうした変化に立ち会うたびに「この人の人生に、ほんの少しでも良い影響を与えられたのなら、やってきたことは間違っていなかった」と思えました。

けれど、自分の想いをもっと自由に形にするには、既存の枠の中では限界もありました。
一人ひとりに深く向き合い、自分の信じる形で治療を届けていくために、独立という選択が自然と浮かび上がってきました。

退職にあたっては、当時の上司や同僚が快く背中を押してくれました。その支えがあったからこそ、今の一歩を踏み出すことができたのだと思います。

開業までの準備と迷い

治療院を開こうと決めたものの、実際の準備は想像以上に手探りの連続でした。
物件探し、内装の手配、医療機器の選定、資金繰りなどなど。
目に見える課題も、目に見えない不安も、一気に押し寄せてきました。
まだ前職で働いている期間だったので、出勤前の早朝や、退社後も夜中まで内装作業に追われる日々でした。

一人で作業をしていると、ふとした瞬間に

「本当にやっていけるのか?」
「必要としてくれる人はいるのだろうか?」

そんな問いが胸をよぎることもありました。

それでも、支えになったのは、これまでに出会ってきた患者さんたちの言葉でした。

「先生のおかげで、あきらめていたことにもう一度挑戦できました!」
「ここに来ると、不思議と心まで軽くなります!」

そうした言葉が、次の一歩を踏み出す力になりました。

本庄院 開院

治療院のこれから

私が目指すのは、「痛みを取ること」だけを目的とした治療院ではありません。
症状の背後にある“本質”に向き合いながら、その人らしさを取り戻していく場をつくりたいと考えています。

たとえば、ある痛みが単なる筋肉のこわばりではなく、長年の習慣や無意識の緊張、感情の抑圧から来ているとしたら、それを見逃さずにケアする必要があります。

そうした視点をもとに、私は、超音波エコーによる正確で安全な鍼治療と、人としての感覚に根ざした丁寧な施術を組み合わせて、一人ひとりに合ったアプローチを心がけています。

これまでのすべての経験が、この場所へとつながってきました。

「本当の自分らしく生きたい」
「もっと自由に動ける身体になりたい」

そんな思いを抱える方にとって、”ここから”新たなスタート地点となれるように。
私はこの場所から、その一歩を支え続けていきたいと思っています。

黒沢あやと